「この私の力が、この富を築きあげた」と思う者なのですね。私たち。 |
カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2017年 02月 06日
あなたが食べて満足し、 りっぱな家を建てて住み、 心おごり、 あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。申命記8:12、14 いったいあなたの持っているもので、 いただかなかったものがあるでしょうか。 もしいただいたのなら、 なぜいただかなかったような顔をして 高ぶるのですか。Ⅰコリント4:7 Ⅱコリント3:(9~11)12~18 ルカ8:40~56(通読箇所) (ローズンゲン日々の聖句2/6;月) 私たち、豊かな生活が送れるようになると、また、成功し、ことが順調に進んでいると、つい、心高ぶり、「この私の力で、自分の手の力でこの富を築きあげたのだ」と、心に思う思いが涌きあがって来る者のようです。 しかし、天の神、主は、パウロを通して言われます。 「あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。 もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。」と。 天の神、主は、この天と地、宇宙の星々と地球の自然環境、これらを人間の住まいとして、私たち人間が快適に過ごせるようにと、創造し、用意してくださったのだそうです(イザヤ45:18)。 そして、準備万端、用意が整ったところで、人間を創造されたのだそうです。 また、私たちの理性が正しく働き、判断ができていることも自分自身によることではないようですね。 もし、天の神、主が、支えの御手をちょっとでもゆるめるなら、私たちの理性も狂った者になってしまうようです(ダニエル4:28~37)。 私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知る者になろう」(創世記3:5、22)としたアダムの子孫は、天の神、主に対抗し、天の神、主の位の上に自分の位を置こうとするサタンの性質を受け継ぐ者で(イザヤ14:13~14)のようです。 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方によって造られ、この方から、自分の存在に必要なもののすべてをいただいていながら、まるで、何ももらっていない、全部、自分で用意したかのように、自分の力で得たかのように思い上がる者のようです。 私たちは、自分が、そのように、天の神、主にそむくものであることを知って、認めて、天の神、主が、差し出していてくださる〔イエスの十字架刑での処刑〕を、自分の〔生まれたときからの私〕という霊の処刑として受け取っていいのだそうです。 そして、墓に葬られ、三日目に墓より、新しい〔霊のからだ〕に復活され、40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語り、弟子たちが見ている前で、オリーブ山から天の〔父である神〕の右の座、〔神の御子〕の位に帰られたイエスは私たちにもうひとりの助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。 この方は、〔父である神〕が私たちひとり一人に思っておられる御思いを私たちの心に置いてくださるので(エゼキエル36:25~31)、受け入れる者は、この部分において、〔父である神〕と同じ思い、一つ思いになって、〔父である神〕がその人を通してしようと思っておられることをしていく者にしていただけるのだそうです(ヨハネ14:12)。 この方について行くとき、私たちは、自由な者とされ、鏡のように主イエスの栄光を反映させながら、栄光から栄光へと主イエスと同じ〔かたち〕(創世記1:26)、〔御子である神〕が〔父である神〕ともっておられる同じ関係を持つ者に変えていただけるのだそうです。 御霊なる主は働いておられるのだそうですから(Ⅱコリント3:17~18)。 今日も。
by sch777kan
| 2017-02-06 10:41
| 聖書の言葉
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||