生きることになるのだそうですね。私たちも。 |
カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2017年 02月 16日
主は私たちを、どのように造るべきかを知っておられた。 私たちがちりにすぎないことを、御心に留めておられる。詩編103:14 イエスの言葉: わたしが生きているので、 あなたがたも生きることになる。ヨハネ14:19 Ⅰコリント3:(1~3)4~8 ルカ10:1~16(通読箇所) (ローズンゲン日々の聖句2/16:木) すべてのことは、〔父である神〕の御思いから発しているのだそうです。私たち一人一人も、まず、〔父である神〕が思っておられる私があり、その御思いのとおりに造られたているのだそうです。 神である主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、土地のちりで人のからだを形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれ、そこで人は生きるものとなったのだそうです(創世記2:7)。 それで、天の神、主が、私たちの息、霊を呼び戻されると、私たちは土地のちりで造られた〔からだ〕をこの地上に残して、霊は天の神のもとに帰って行くことになるようです。 けれども、イエスが十字架刑にかかられる前の晩の、最後の晩餐の席で言われたとおりに、十字架刑で処刑されたイエスが、三日目、日曜日の早朝、土地のちりで造られた〔からだ〕にではなく、新しい〔霊のからだ〕に復活されたことによって、受け入れる者も、イエスと同じ、新しい〔霊のからだ〕に復活して、生きるものにしていただけるのだそうです。 この〔からだ〕についてはそのようですが、〔霊〕について言えば、私たちの〔生まれたときからの霊〕は、天の神、主の「われわれのかたちとして、われわれに似せて」造られていながら(創世記Ⅰ:26)、その造られた場に留まることをせず、もっと素晴らしい者になろうとして、「神のひとりのようになり、善悪を知るように」なって、天の神、主に対抗、対立する者、そむく者になっているのだそうです。 天の神、主の創造の御思いから〔的はずれ〕になってしまっているのですね。 それでもなお、天の神、主は、その〔的はずれ〕の私たち人間を愛し、これを廃棄処分にされないで、回復の道を計画されたのだそうです。 それで、そのご計画の時が満ちたとき、そのご計画のとおりに、〔御子である神〕は、天の栄光の座を後にして、ダビデの子孫であるひとりの処女マリヤの胎を通して、アダムのそむきの性質を受け継いでいない〔女の子孫〕として(創世記3:15)人の世に来られ(ヨハネ1:14)、およそ、33歳の頃、ご計画のとおりに、神に背く者として十字架刑によって処刑されてくださったのだそうです。 〔父である神〕は、このイエスを、その全能の力によって復活させ、40日に渡って、弟子たちに何度も現れさせ、神の国のことをさらに詳しく語らせたのち、弟子たちの見ている前で、オリーブ山から、天の〔父である神〕の右の座、〔御子である神〕の位に帰らせたのだそうです。 〔父である神〕は、このイエスによって、イエスを神の御子、キリスト(救い主)として受け入れる者の〔生まれたときからの霊〕をイエスの十字架刑での処刑に合わせてくださり、処刑されたもの、死んだものと手続きしてくださるのだそうです。 そのうえで、御子イエスを通して、もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を、受け入れる者に派遣してくださり(ヨハネ14:16)、受け入れる者を、死んで、新しい霊によって生きるもの、新しく生まれた者としてくださるのだそうです(ヨハネ3:1~8)。 この、〔生まれたときからの私〕という霊を死んだものとしていただき、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって新しく生きるものとしていただいた者は、〔生まれたときからの私〕という霊から心に来る思いを死んだものから来た思いと認めて、横に置き、〔聖である霊〕と呼ばれる方から心に来る〔父であある神〕の御思いを我が思いとして生きるのだそうです。 〔肉に属する人〕から〔御霊に属する人〕に成長し、パウロやアポロのように、主がおのおのに授けられたとおりのことをしていく、神の協力者、同労者としていただけるのだそうです(Ⅰコリント3:1~9)。 イエスによって遣わされた70人の弟子たちのように、遣わされた場所の平安を祈り、病人を直し、「神の国」、天の神、主の統治をその場に届ける者にしていただけるのだそうです(ルカ10:1~16)。 今日も。
by sch777kan
| 2017-02-16 11:29
| 聖書の言葉
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||