弱かったのに強いものとされ、戦いの勇者に |
この方の御思いの中で成っている事実を、この方への信頼において受け取り、
この方のお言葉の中に踏み出していって、その事実を見ていったのだと。
ペテロがルダに来ていると聞いて、「すぐに来て下さい」とペテロに使いを送り、
ペテロを通して彼女を生き返らせてもらったのだそうです(使徒9:36~42)。
「わたしのもとに来て、
自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まないものは、
わたしの弟子になることができません。
自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、
わたしの弟子になることはできません。
基礎を築いただけで完成できなかったら、
見ていた人はみな彼をあざ笑って、
『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった』と言うでしょう。
また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときには、
2万人を引き連れて向かってくる敵を、1万人で迎え撃つことができるかどうかを、
まずすわって、考えずにいられましょうか。
もし見込みがなければ、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和を求めるでしょう。
そういうわけで、あなたがたはだれでも、
自分の財産全部を捨てないでは、
わたしの弟子になることはできません」(ルカ14:25~33新改訳)と。
旧い契約、自分の力で、自分の努力で、
天の神、主の御思いを100パーセント実行できるかどうか。
自分の力で、財産全部を捨てて貧しい人にほどこす(マルコ10:17~22)、ことができるかどうか、
よく計算しなさい。
そして、自分の力に余ることであれば、
自分にはできないことであれば、
まだ、時間があるうちに講和を求めるように、
とイエスは言うのですね。
自分が、天の神、主の創造の目的からズレてしまっている者、
「的外れ」になっている者であることを認め、
その責任を問われれば十字架刑で処刑されるはずの者であることを認めて、
イエスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせていただいて、
処刑が済んでいる者、死んだものとしていただきなさい、と。
天の、〔父である神〕の右の座に帰られたイエスが派遣してくださるもう一人の助け主(ヨハネ14:16)、
〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
この方が心に置いてくださる、
〔父である神〕が私について思っていてくださる御思いについて行く生き方を受け取りなさい(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28、ガラテヤ5:24~25)、と。
約束のものを手に入れ、
弱かったのに強いものとされ、戦いの勇者としていただきなさい、と。
今日も。