この御救いは、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄、なのだそうです |
主の裁きは全地に及ぶ。詩105:7
光が世に来たのに、
人々はその行いが悪いので、
光よりも闇の方を好んだ。
それが、もう裁きになっている。ヨハネ3:19
ヨハネ1:1~5(6~8)9~14
ヘブル書1:1~3(4~6)
ルカ2:29~32(通読箇所)
私たちは、光よりも闇を愛するのですね。
悪いことをする者は光を憎み、
その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方へ来ないで。
ちょうど、アダムとエバが、
「あなたはどこにいるのか」と呼びかける神から身を隠し、
園の木の間に身を隠したように。
このこと自体が、
私たちが「的外れ」になっている結果であり、
裁きになっている、というのですね。
人間イエスとして、人の世に来られたのだそうです。
使徒ヨハネは記しています。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
この方にいのちがあった。
このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。
やみはこれに打ち勝たなかった。
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すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
この方はもとから世におられ、
世はこの方によって造られたのに、
世はこの方を知らなかった。
この方はご自分のくにに来られたのに、
ご自分の民は受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、
すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、
肉の欲求や人の意欲によってでもなく、
ただ、神によって生まれたのである。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
私たちはこの方の栄光を見た。
父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。
この方は恵みとまことに満ちておられた」(ヨハネ1:1~5、9~14新改訳)、と。