今日、あなたがたが神の声を聞くなら、
心を頑なにしてはならない。へブル3:15(協)
(2/8の週の聖句)
主は、私たちに大きな業を成し遂げてくださった。
私たちは喜んだ。詩126:3(協)
そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に集まり、
家ではパンを裂き、喜びと真心をもって食事を共にし、
神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。
使徒2:46~47(協)
福音書:ルカ8:4~15
使徒書:へブル4:12~13
旧約:イザヤ55:6~12
説教:エゼキエル2:1~3:3
通読:詩99
ローズンゲン『日々の聖句』2/8(日)
———— α&ω ————
私たち人間は、天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方から、ご自身ににる者にと望まれ、
造られたものなのだそうです。
この方と思いを一つにしながら生きる者にと。(創世記
1:26)。
けれども、最初の人アダムとエバは、
もっと立派な者に、神のようになろうと思い、
その造られた場所にとどまることをしないで、
「神の一人のようになり、自分の理性による善悪の判断で
生きる道を選んだのだそうです。(創世記3:22)
その性質がアダムとエバから出た全人類に遺伝し、
今日の私たちにまで続いているのだそうです。
それで、進められているのですね。
「今日、神の声を聞くなら、
心をかたくなにしてはならない」と。
私たちの創造主、天の神は、そのような「的外れ」に
なってしまっている私たち人間をなお、大切に思い、
惜しんで下さって、最初の創造の目的のとおりに
回復しようとしていてくださるのですね。
それで、【御子である神】が人間イエスとなって
人間の歴史の中に来てくださり、
私たち人間の、創造の目的からの「的外れ」の責任を
ご自身に負って、私たちに代わって十字架刑での処刑を
受けてくださり、私たちを処刑済み、死んだ者との
手続きを済ませてくださったのだそうです。
律法の要求が満たされたものとして。
イエスは、出エジプト以来、行われてきた、
「神の怒りを過ぎ越す」ための小羊が屠られた、
その記念の祭りの小羊が屠られるその時間に
十字架上で息を神に引き渡されました。
そして、墓に納められたイエスは、
三日後の日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語り、
死んだ自分が確かに生きていることを見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰って行かれました。
『エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を
待ちなさい。あなたがたは間もなく、聖霊による
バプテスマを授けられるからです」と言い残して。
そして、その10日後、ペンテコステ(出エジプトのとき、
小羊が屠られて50日目の、シナイ山での、律法が与えられ、
それを守り、神の民となるという契約締結の記念日)に、
【聖である霊】と呼ばれる方が弟子たちに来られて、
弟子たちは、この方が心に置いてくださる【父である神】
御思いのとおりに話し出したのだそうです。
「わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、
この方によって神の御思いをあなたがたのうちに置き、
心に書き記し、あなたがたは、わたしと思いを一つにして
生きるようになる」(エレミヤ31:33、エゼキエル37:27)との新しい契約が発効して。
その契約は、2000年後の私たちにも有効で、
私たちにもこの【聖である霊】と呼ばれる方が来られて、
私たちのうちに【父である神】の御思いを置いてくださり、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにされ、
受け入れる者が【父である神】の御思いによって行動する
ようにしていただけるのだそうです。
私たちもこの神の大きな御業にあずかり、
これを成し遂げてくださった神をほめたたえ、
喜ぶのですね。
そして、このイエスによる新しい生き方を
いただいた者は、一緒に集まり、また、家々では
食事のたびに、イエスの十字架の死による新しい生き方を
確認し合い、神を賛美するのですね。
そして、みことばと交わりを通して、
人に踏み固められた道端に落ちた種のように、
鳥が来て食べられる(サタンに持って行かれてしまう)
のを防いでもらい、
石地のような、自分の理性による善悪の判断で
カチカチになっている思いを取り除いてもらい、
いばらのように出て来る生活における思い煩いや
富みや快楽への誘いを取り除いてもらいながら成長し、
実を結んでいくのですね。(ルカ8:4~15)
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも
鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに
刺し貫き、心の思いやはかりことを見分けるのですね。
だから、神の御前にあらわでない被造物はなく、
神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されているの
ですから。(へブル4:12~13)
それで、神である主はイザヤを通して言われます。
「主を求めよ。お会いできる間に。
叫び求めよ。近くにおられるうちに。
悪しき者は自分の道を、
不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。
主に帰れ。そうすれば主はあわれんでくださる。
私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
『わたし(神)の思いは、あなたがたの思いとは異なり、
あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。
—— 主のことば ——
天が地より高いように、
わたしの道は、あなたがたの道より高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
雨や雪は、天から降って、元に戻らず、
地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、
種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。
そのように、
わたしの口から出るわたしのことばも、
わたしのところに、空しく帰って来ることはない。
それは、わたしの望むことを成し遂げ、
わたしが言い送ったことを成功させる。
まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、
平安のうちに導かれて行く。
ヤマト丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、
野の木々もみな、手を打ち鳴らす。
いばらの代わりに、もみの木が生え、
おどろの代わりにミルトスが生える。
これは主の記念となり、
絶えることのない永遠のしるしとなる』と。
(イザヤ55:6~12)
エゼキエル2:1~3:3で、神である主が
エゼキエルに言われているように、
神の民として選ばれたイスラエルの人々も、
異邦人である私たちも、自分の理性による善悪の判断に
堅く立ち、神の判断を聞こうとしない、かたくなで、
反抗するばかりの者なのですね。
それで、今から2000年ほど前のこと、
神の独り子である方が人間イエスをして人の世に来られ、
その、神に反逆するばかりの「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
死んだものとするために十字架刑での処刑を
受けられました。
それで、【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来る道が
開かれ、この方が私たちに来て、私たちのうちに
【父である神】の御思いを置き、私たちのうちに
【父である神】の御思いがあるようにされ、私たちが
【父である神】の御思いを成していくようにしてくださる
のだそうです。
そして、今度は苦難を受けるしもべではなく、
王として来られるのだそうです。
そのとき、この方と思いを一つにして生きて来た者は、
この方の御思いのとおりに世を治めるために用いて
いただけるのですね。
それで、この方に向かって詩篇の作者は謳います。
「主は王である。
国々の民は恐れおののけ。
主はシオンにおられる大いなる方。
主は、すべての国々の民の上に高くいます。
大いなる恐れ多い御名をほめたたえよ。
主は聖なる方。
主は力をもって、さばきを愛する。
あなたは公正を堅く立て、
さばきと正義を
ヤコブの中で行われた。
われらの神、主をあがめよ。
その足台のもとにひれ伏せ。
主は聖なる方」と。〖詩篇99:1~5)
私たちのこの一週間も。
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