(ローズンゲン日々の聖句7/14;火)
出て行くとき、一歩踏み出す時、共にいて下さる方。
近くいて下さる方、一緒に行って下さる方。
そばに、よりもさらに近く、内に居て下さり、
平和を起こして下さる方。
はっきりと知って欲しいのだそうです。
2000年ほど前、エルサレムの門の外で十字架刑で処刑されたあのイエスこそ、
神が、主ともキリスト(救い主)ともされた方であると。
この方に近く居ていただくには、心の向きを天の神、主のほうに向き変えて、
それぞれ罪を赦していただくために、
イエス・キリストの名によってバブテスマ(洗礼)を受けるといいのだそうです。
そうすれば、賜物(神からのプレゼント)として、聖である霊と呼ばれる方が来て下さるのだそうです(使徒2:36~38)。
私たちといつも、いつまでも、近く、近くいて下さるもう一人の助け主として(ヨハネ14:16)。
その方が、私たちのうちに居て下さって、私たちの心の思いに天の神、主の、私たち一人一人に、その時その時に思っていらっしゃる御思いを置いて下さるので(エゼキエル36:25~27)、私たちの心にもこの方から来る御思い、「目には目を」に代えて「右の頬を打つ者には、左の頬も向ける」、あるいは、「私たちを告訴して下着を取ろうとする者には、上着も与える」、「1キロメートル行けと強いるような者とは、2キロメートル一緒に行ってあげる」ような、今までの私たちのうちからは出て来るはずもない思い、天の神、主の御思いが来るようになるのだそうです。
天の神、主は、しようと思っておられる御業を、私たち一人一人と心を一つにし、一緒に、私たち一人一人をとおして、していきたいと思って下さっているのだそうですね(ヨハネ14:12)。
私たちの周りに平和を起そうと。
今日も。
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