悪に対しても、善をもって返していけばいいのだそうですね。 |
主は、おのおのに、 その正しい行いと忠実さに従って報いてくださいます。サムエル記上26:23 義のために迫害されている人々は、幸いである。 天の国はその人たちのものである。マタイ5:10 (ローズンゲン日々の聖句7/21;火) 正しいことをして苦しめられている者を、天の神、主は、そのままにはしておかれないのだそうです。 必ず、その正しさ、忠実さに従って報いて下さるのだそうです。 それで、悪に対して、悪をもって報いるのではなく、善をもって報いていきなさいと勧められているのですね。 イエスを信じる者だということで、ののしられ、迫害され、ありもしない悪口を浴びせられる時がありますが、天の神、主は、それらをひとつ残らず見ていて下さって報いて下さるのだそうです。 だから、「喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから」とイエスは仰るのだそうです(マタイ5:11~12)。 私たち、天の神、主と、思いを一つにしていく生き方をしていく者をと願われて造られていながら、その生き方を嫌がり、自らが、神の一人のようになろうとし、自分一人で善悪の判断をしていく生き方を選んだ者の子孫として、その性質を受け継いで生れて来た者(創世記3:22)。 それで、私たち、天の神、主の招待の言葉も、天の神、主が御子である方を私たちの身代わりに、十字架刑で処刑して用意して下さった義も、 妬むほどに愛し(ヤコブ4:5)、 自分に対する悪口は赦すけれど、この方に対する悪口は赦さないとおっしゃられるほどの大切な方(ルカ12:10)を私たちひとり一人に派遣して、私たちの心に、ご自身の御思いを書き記して下さって、私たちに、ご自身と思いを一つにして生きて欲しいとの懇願も、 気にもかけず、いい加減にあしらってしまう者(マタイ22:1~14)ですが、 そういう者であることを認めて、頭を下げて、この方に呼びかけていけば、答えて下さるのだそうですね。 今日も。 [[img(http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif)]] |