私たちが被った苦難のすべてを、小さい事と見なさないでください。 |
偉大にして力強く畏るべき神よ、
忠実に契約を守られる神よ、
私たちが被った苦難のすべてを、
取るに足らないことと見なさないでください。ネヘミヤ記9:32
盲人は叫んだ。
「ダビデの子よ、憐み給え。」
イエスは立ち止まり「呼びなさい」と言われた。
人々は彼に「安心して、立ちなさい。お呼びだ」と言った。マルコ10:48~49
Ⅰテモテ6:(3~5)6~11a
ルカ13:10~17
天の神、主は、民をこれ以上放置できなくなったようですね。
イスラエルの民は、ついにバビロン軍によって国を滅ぼされ、
主だった者はバビロンに捕囚とされたのだそうです。
そして、70年、ついに、天の神、主のご計画の時が満ちて、
ペルシャの王、クロスによって帰還を許され、ゼルバベルを中心に神殿再建を果たしたのだそうです。
それを聞いた、ペルシャの王アルタシャスタの献酌官であったネヘミヤは、断食して祈り、
王に願い出てエルサレム帰還を許され、エルサレムの城壁再建を果たしたのだそうです。
「アッシリアの王たちの時代から今日まで、私たちの先祖と、あなたの民全部に降りかかったすべての困難を、どうか今、小さい事とみなさないでください」と。
人々の制止を振り切って「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び続け、
イエスから見えるようにしていただいて、イエスについて行く者になったのだそうです。
「あなたの病気はいやされました」と言って、手を置かれ、
腰が伸びるようにされたのだそうです(ルカ13:10~17)。
私たちは金持ちになりたい者であり、敬虔を利得の手段としてしまうものでもあります。
しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利得を受ける道、なのだそうです。
使徒パウロは、弟子のテモテに書き送っています。
「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。
衣食があれば、それで満足すべきです。
金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。
これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい」(Ⅰテモテ6:6~11新改訳)と。
思い煩い、心配事、願いも、思いっ切り、天の神、主に申し上げ、知っていただきながら、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、御思いを心に置いていただき、
御思いを私の心としながら、進みたいですね。
今日も。