御思いについて行き、栄光を受ける、その時を |
キリストの裁きの座の前に立たなければなりません。Ⅱコリント5:10(11/19の週の聖句)
あなたの神、主は、
あなたの手の業をすべて祝福された。申命記2:7
ですから、大切なのは、
植える者でも水を注ぐ者でもなく、
成長させてくださる神です。Ⅰコリント3:7
マタイ25:31~46
詩63(通読箇所)
ねたんだり争ったりしています。
私が植えて、アポロが水を注ぎました。
しかし、私たちは神に用いられ、
天の神、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのであって、
大切なのは、成長させてくださる神です」と。
この方がおよそ33歳のころ、
私たち、すべての人間の身代わりとして、
ユダヤ人の指導者たちのねたみとローマ軍の手を用いて、
十字架刑で処刑されました。
そして、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になって、
神にそむいている私たちの〔生まれた時からの私〕という霊を、
この、イエスの十字架刑での処刑に合わせてくださって、
処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです。
そのうえで、受け入れる者に、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣し、
この方によって、私たちの心にご自身の御思いを置いてくださり、
私たちが、ご自身と思いを一つにし、心を一つにして、
ご自身がしようと思われることをしていく、
新しい生き方を生きるようにしてくださるのだそうです。
御思いのとおりをしていったように、
私たちも用いていただけるのだそうです。
神が私たちを祝福し、与えていてくださるものを用いて、
空腹の人に食べる物与え、
渇いている人に飲ませ、
旅人に宿を貸し、
裸の人に着る物を与え、
病気をしている人を見舞い、
牢にいる人を訪ねるように、と(マタイ25:31~46)。
そして、与えられている(預けられている)ものを御思いのとおりに用いたか、
清算される時があるのだそうですね(マタイ25:14~30)。
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に置かれた御思いについて行き、
与えられているもの(預けられているもの)を御思いのとおりに用いていって、
御国を受け継ぐ分と、
〔生まれた時からの私〕から来る思いでやっていって、
外の暗闇に放り出される分とが切り分けられる、
そのような時が。
ダビデのようにうたいたいですね。