恵みの上に、さらに恵みを |
野の花のように咲く。
風がその上に吹けば、消え失せ、
生えていた所を知る者もなくなる。
主の慈しみは
代々とこしえに
主を畏れる人の上にある。詩103:15~16、17
すべてのものを造られた方。
その方が人となって、私たちの間に住まわれたのだそうです。
〔父である神〕の恵みとまことを、私たちに届けるために。
私たちは皆、この方の満ち満ちた豊かさの中から、
恵みの上に、さらに恵みを受ることができるのだそうです。
〔父である神〕の恵みとまことが、
イエスによって、
この人間の歴史の中に実現したのだそうですから(ヨハネ1:1~3、14~18)。
主が私たちに報いてくださったすべてのことについて、
そのあわれみと、豊かな恵みによって報いてくださった
イスラエルの家への豊かないつくしみについて。
「まことに彼らはわたしの民、偽りのない子たちだ」と。
彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、
ご自身の使いが彼らを救った。
その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、
昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。
主の聖なる御霊を痛ませたので、
主は彼らの敵となり、みずから彼らと戦われた。
そのとき、主の民は、いにしえのモーセの日を思いだした。
「羊の群れの牧者たちとともに、
彼らを海から上らせた方は、
どこにおられるのか。
その中に主の聖なる御霊を置かれた方は、
どこにおられるのか。
その輝かしい御腕をモーセの右に進ませ、
彼らの前で水を分け、
永遠の名を成し、
荒野の中を行く馬のように、
つまずくことなく彼らに深みの底を歩ませた方は、
どこにおられるのか。
家畜が谷を下るように、
主の御霊が彼らをいこわせた」(イザヤ63:7~14新改訳)、と。
私たちも、
天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方を忘れ、
自分で生きているように思い違いをする者ですけれど、
天の神、主を思い出し、
この方の恵みとまことに帰って行けますように。