「神はいない」と心の中で言う私たちに、ご自分の子、家族になってほしいと |
外国人でも寄留者でもなく、
聖なる民に属する者、
神の家族である。エフェソ書2:19(7/15の週の聖句)
主よ、
あなたは暴虐な者たちの歌声を
低くされます。イザヤ書25:5
悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、
神の子が現れたのです。Ⅰヨハネ3:8
ヨハネ6:1~15
詩53(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句7/15;Ⅲ日曜)
自分の罪過と罪の中に死んでいた者であって、
それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、
空中の権威を持つ支配者として
今も不従順の子らの中に働いている霊(サタンとその配下の霊)に従って、歩んでいました。
不従順の子らの中にあって、
自分の欲の中に生き、
肉と心の望むままを行ない、
ほかの人たちと同じように、
生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
また、肉において異邦人であり、
キリストから離れ、
イスラエルの国から除外され、
約束の契約については他国人であり、
この世にあって望みもなく、神もない者でした。
しかし、憐れみ豊かな神は、
私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
罪過の中に死んでいたこの私たちを
キリストとともに生かし、
ただ恵みによって、
キリスト・イエスにおいて、
ともによみがえらせ、
ともに天の所にすわらせてくださいました。
恵みのゆえに、信頼によって、
〔聖である霊〕と呼ばれる方により、
父のみもとに近づくことができる、
聖なる民に属する者、
神の家族としていただけるのだそうです。
イエスによって、
この遠い昔からの不思議なご計画を、
まことに、忠実に成し遂げられ、
そして、心の中で「神はいない」と言っている(詩篇53:1)
暴虐な者、横暴な者たちの歌声を低くされ、
しずめられるのだそうです。
私たちを神の子とし、
イエスに似た者として、
私たちを滅びへの道連れにしようとする
悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、
〔神の子〕であられる方が、
人間イエスとして人の世に現れてくださったのだそうです。
ご自分の身に、私たちの〔的はずれ〕の責任のすべてを負って
神に呪われた者となって木にかけられ、
十字架刑での処刑を受けてくださって、
私たちを処刑済みのもの、
死んだものとしてくださり、
サタンの告発を無効にしてくださるのだそうですから。
大ぜいの人の群れがイエスを求めて集まって来たのだそうです。
人々を空腹のまま帰らせたくないと思われ、
ちょうど、少年が持っていた大麦のパン5つと小さい魚2匹で、
人々を満腹にさせて帰らせたのだそうです。
男だけで5千人いたのだそうですが。
そして、余ったパン切れを集めると、
12のかごがいっぱいになったのだそうですね。
それで、人々はイエスを、
むりやりに、
王(キリスト、王である救い主)として立てようとしたのだそうです(ヨハネ6:1~15)。
ローマ帝国に対して反乱を起こし、
ダビデの王国を再建しようと。
しかし、このときのイエスがこの世に来られた目的は、
この世の王国を建てるためではなく、
私たちを告発する者、
悪魔の働きを滅ぼすため、
私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けるためだったのだそうです。
それで、イエスは人々の手を逃れ、
ひとり、また山に退かれたのだそうです。
このイエスが受けてくださった十字架刑での処刑によって、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)、
〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑済み、死んだものとしていただけるのだそうです。
三日目に死人のうちから新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、
雲に迎えられ、
天の父である神の右の座に帰られたのだそうです(使徒1:3~9)。
もう一人の助け主、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、
この方によって、
受け入れる者の心に、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを置いてくださって、
受け入れる者が〔父である神〕と思いを同じくし、
一つ心になって、
〔父である神〕がその人を通してしようと思われることを
していくようにしてくださるのだそうですから。
私たちに神の子の身分を与えてくださり、
神の家族、〔父である神〕に近い者として。
この新しい週も。