死の陰の谷を行くときも、 私は災いを恐れない。 あなたが私と共にいてくださる。 あなたの鞭、あなたの杖、 それが私を力づける。詩23:4
キリストの苦しみが満ちあふれて 私たちに及んでいるのと同じように、 私たちの受ける慰めも キリストによって満ちあふれているのです。Ⅱコリント 1:5
イザヤ書 1:18~20(21~25)26~27 黙示録 10:1~11(通読箇所) (ローズンゲン日々聖句 11/3;土・祝)
天の神、主、 「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、 また、慈愛の父、 すべての慰めの神とも呼ばれる方なのだそうです。
神はどのような苦しみのときにも、 死の陰の谷を歩むようなときにも、 私たちと共にいて、 私たちを慰めてくださる方なのだそうです。
それで、私たちも、 自分自身が神から受ける慰めによって、 どのような苦しみの中にいる人をも、 慰めることができるようにしてくださるのだそうです。 死の陰の谷にいるような人をも。 私たちと共にいて。
天の神、主は、イザヤを通して言われます。 「さあ、来たれ。論じ合おう。 たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、 雪のように白くなる。 たとい、紅のように赤くても、 羊の毛のようになる。 もし喜んで聞こうとするなら、 あなたがたは、この国の良いものを食べることができる。 しかし、もし拒み、そむくなら、 あなたがたは剣にのまれる。
万軍の主、イスラエルの全能者であるわたしは、 おまえの上に再びわが手を伸ばし、 おまえのかなかすを灰汁のように溶かし、 その浮きかすをみな除こう。
こうして、おまえのさばきつかさたちを初めのように、 おまえの議官たちを昔のようにしよう。
そうして後、おまえは正義の町、 忠心な都と呼ばれよう。 シオンは公正によって贖われ、 その町の悔い改める者は正義によって贖われる」 (イザヤ1:18~20、25~27新改訳)と。
天の神、主は、 今は、私たちがひとりでも滅びることを望まず、 すべての人がご自身に立ち返って、 イエスによる救いを受け取るよう、 忍耐をもって時を延ばしておられるのだそうです(Ⅱペテロ3:9)。 しかし、「もはや時が延ばされることはない」 と言われるときが来るのだそうです。
私たち、一人一人においても。 また、この人間の歴史においても。
それで、私たちにも慰めを満たし、 〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、 伝えてほしい御思いを私たちの心に置き(黙示録10:6~11)、 私たちの周りの人を慰め、 力づけようとしておられるようです。 死の陰の谷を歩んでいるような人にも。 今日も。
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